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【地下鉄サリン事件】麻原彰晃 (松本智津夫)のこども達【今日で20年】

1995年3月20日、20年前の今日、東京都内の地下鉄
(東京地下鉄、現・東京メトロ
丸ノ内線、日比谷線、千代田線)
で、神経ガスサリンが散布された史上初のテロ事件が
起こった日です。



麻原彰晃こと松本智津夫が、宗教団体オウム真理教を
設立し、
「日本を転覆させる企て」として、様々な兵器と共に
サリンを製造、警察の強制捜査を逸らす為に
このテロを、幹部を使って起こした、
世界中を震撼させたテロ事件でした。


20年経つ、ということで、各メディアでは、
オウム関係の報道がたくさん流れています。

松本智津夫とは、オウムとは。
どんな背景やどんな環境のもと、このような
事件が起こってしまったのでしょう。



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麻原彰晃こと松本智津夫には、12人の子供がいます。

妻、松本知子との間に6人、
オウム幹部である石井久子との間に3人、
同じく、信者の木田裕貴子との間に1人、
そして、母親が分からない子供が2人。



妻との間の子供の長女と次女、三女は、
教団では地位を与えられていました。

長男は、教団では、皇子の称号を与えられ、
1996年6月に教祖になっています。

次男は、「麻原彰晃の息子」という理由で
中学校を合格したものの、入学を拒否されています。

同様に、四女は、
「私はなぜ麻原彰晃の娘に生まれてしまったのか」
という著書を出しています。



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教祖の子供ゆえに甘やかされて育ったと思われていましたが
実際は、他の教団信者と同じような生活
(ヘッドギアをつけて修行する、
厳しい生活、教団信者と同じ飲食など)
を送っていたとのこと。


松本智津夫、知子の両親が逮捕されたことによって、
初めてようやく「子供らしい」生活を送れるように
なったということでした。


そして、成長の過程で一番苦しかったのが、
報道による、周囲からの差別だったと言います。

テロリストの娘、ということで、住む家を探すことも困難、
学校に通うことを拒まれ、ようやく提訴により学校へ通うも、
周囲からいじめられ…。


自傷行為を何度も繰り返したこともあったそうです。



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9年ぶりに、次女と四女と弟と、父、松本智津夫に
再会に行きました。

3度目の面会のときに、松本智津夫が、子供達の前で
突然マスターベーションをし出したのです。



麻原彰晃は、日本史上最悪のテロリストです。
しかし、子供達は、何も知らない中、育っただけなのです。



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麻原彰晃やオウムが起こした恐ろしい事件と、
その被害者、遺族の苦しみ、世界中からのバッシングを
背負って、差別され、生きて行くのです。


地下鉄サリン事件や、他、オウムが起こした多大な事件の
真相を究明し、法の下、犯罪者が裁かれ、
被害者やその家族、遺族、麻原彰晃の子供達に、
本当の平安が訪れることを祈って止みません。



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